静かになってしまった尾道
出船・入船の話が出たので
むかし・・・(私が子供の頃)の尾道港の話をしてみる。

現在は、ここ中央桟橋(昔の名前)からの船便は無い。
この狭い尾道に同じくらい大きな桟橋がふたつもあった。
どちらの桟橋が先に出来たのかは知らないが
どちらも、大変な賑わいであった。
どうも、役割が分かれていたように思う。
駅前桟橋・・・(現在のものとは違う)は、汽車(国鉄)に乗る目的の人が
主に利用していたのだろうと思っている。
中央桟橋・・・(現在のもの)は、遠くは四国今治や島しょ部からの
買い物客で毎日ごった返していた。
尾道港へ出入りする船便のほとんどは、眼と鼻の先のふたつの桟橋の
双方へ着いていたと思う。
駅前桟橋は、真正面の尾道駅まで徒歩数分の便利さで
駅前近くには、洒落た食堂・みやげ屋・高級品を扱う商店・銀行・・・など
近郊の町の中では一番進んでいたように思う。
その頃は尾道鉄道(私鉄)も山間部から沢山の人々を尾道へ運んだ。
※尾道鉄道は、検索エンジンにて尾道鉄道としてご参照ください。
駅から桟橋、桟橋から駅へと人の波が絶えることはなく、
人でむせ返っていた。
当時は福山や三原からも沢山の人々が尾道へ買い物に来たらしい。
片や中央桟橋は、と言えば、こちらも全く負けていない。
桟橋を出ると真っ直ぐに荒神堂を上がれば本通である。
近くには、官公庁・銀行・郵便局・病院・商店街・色々な問屋・・・など
日頃の生活に欠かせないものが揃っている。
殆どの日用品物資は、小さな「はしけ(名前が定かでない)」で
この桟橋の近くの雁木から荷揚げや船積みされていた。
特筆は、桜の花見シーズンだ。
近くの島々や四国から、
巡航船の甲板を潮が洗うほどに乗り込んだ人々が
ここ中央桟橋で降りると、
一直線に荒神堂を通り抜けて千光寺道へ向かう。
皆、手に手に弁当・ござ・酒などを提げて、
われ先に千光寺山に登るのだ。
こんな時期には、小学生の私も駆り出され、伯父が経営していた
桟橋の店で”一時預かり”をしている荷物の番をさせられたものだ。
帰りには、あんパンやラムネ、にっけ水を貰うのが楽しみだった記憶がある。

昔は、二重にも三重にも船を着けて
船の中を行き来して乗り降りした。

この浮き桟橋が沈まんばかりの
物資や人で溢れていた。
が、現在は、こんな状態だ・・・。
こんなにまで静かになったのは、新幹線の開通が大きく影響している。
新幹線の話が上がった折、
”尾道は難しい注文を出したため、国鉄さんの心証を悪くしたようだ”
と聞いているが、確証はない。
結局、尾道水道を埋め尽くすほどの出船、入船があった船便は
全部、三原へ変更されてしまったのである。
が、しかし、
尾道は、今の静寂が似合っているように思う。
歳のせいかも・・・。
むかし・・・(私が子供の頃)の尾道港の話をしてみる。

現在は、ここ中央桟橋(昔の名前)からの船便は無い。
この狭い尾道に同じくらい大きな桟橋がふたつもあった。
どちらの桟橋が先に出来たのかは知らないが
どちらも、大変な賑わいであった。
どうも、役割が分かれていたように思う。
駅前桟橋・・・(現在のものとは違う)は、汽車(国鉄)に乗る目的の人が
主に利用していたのだろうと思っている。
中央桟橋・・・(現在のもの)は、遠くは四国今治や島しょ部からの
買い物客で毎日ごった返していた。
尾道港へ出入りする船便のほとんどは、眼と鼻の先のふたつの桟橋の
双方へ着いていたと思う。
駅前桟橋は、真正面の尾道駅まで徒歩数分の便利さで
駅前近くには、洒落た食堂・みやげ屋・高級品を扱う商店・銀行・・・など
近郊の町の中では一番進んでいたように思う。
その頃は尾道鉄道(私鉄)も山間部から沢山の人々を尾道へ運んだ。
※尾道鉄道は、検索エンジンにて尾道鉄道としてご参照ください。
駅から桟橋、桟橋から駅へと人の波が絶えることはなく、
人でむせ返っていた。
当時は福山や三原からも沢山の人々が尾道へ買い物に来たらしい。
片や中央桟橋は、と言えば、こちらも全く負けていない。
桟橋を出ると真っ直ぐに荒神堂を上がれば本通である。
近くには、官公庁・銀行・郵便局・病院・商店街・色々な問屋・・・など
日頃の生活に欠かせないものが揃っている。
殆どの日用品物資は、小さな「はしけ(名前が定かでない)」で
この桟橋の近くの雁木から荷揚げや船積みされていた。
特筆は、桜の花見シーズンだ。
近くの島々や四国から、
巡航船の甲板を潮が洗うほどに乗り込んだ人々が
ここ中央桟橋で降りると、
一直線に荒神堂を通り抜けて千光寺道へ向かう。
皆、手に手に弁当・ござ・酒などを提げて、
われ先に千光寺山に登るのだ。
こんな時期には、小学生の私も駆り出され、伯父が経営していた
桟橋の店で”一時預かり”をしている荷物の番をさせられたものだ。
帰りには、あんパンやラムネ、にっけ水を貰うのが楽しみだった記憶がある。

昔は、二重にも三重にも船を着けて
船の中を行き来して乗り降りした。

この浮き桟橋が沈まんばかりの
物資や人で溢れていた。
が、現在は、こんな状態だ・・・。
こんなにまで静かになったのは、新幹線の開通が大きく影響している。
新幹線の話が上がった折、
”尾道は難しい注文を出したため、国鉄さんの心証を悪くしたようだ”
と聞いているが、確証はない。
結局、尾道水道を埋め尽くすほどの出船、入船があった船便は
全部、三原へ変更されてしまったのである。
が、しかし、
尾道は、今の静寂が似合っているように思う。
歳のせいかも・・・。
コメント
父と母は中央桟橋前で表具材料を扱う店をやっていました。中央桟橋や住吉浜の雁木で遊びながら育ちました。朱さんの中華そばや蓬莱の中華丼は体の一部になっています。なつかしい話をありがとうございました。
投稿者: 東京の尾道人 | 2007年05月17日 22:36
「東京の尾道人」さん
コメントありがとうございました。
私の記憶が薄れ、中央桟橋の前に表具屋さんが有ったかどうか
定かで有りませんが、昔の桟橋付近の賑やかさは尋常ではなかったですね。
私も中央桟橋の近くで、いとこと一緒によく遊んだものです。
今後も記憶が有る限り、昔の尾道を書こうと思っていますので
どうぞ、読みに来てください。
コメントも書き込んでくださると嬉しいですね。
ありがとうございました。
投稿者: 権太 | 2007年05月18日 10:46