メイン

2008年10月11日

もう、ついて行けない

日中は少し暑いが
段々と、秋が近づいてる気配だ。
夜中なんか、少し寒い。
と、思うのは年寄りだから??

ブログの模様替えをしようと思って
いろいろと調べていたら
面白いところに出くわした。

http://pipa.jp/tegaki/VTop.jsp

どんどん新しい事が出て来て
若い人たちは、楽しいと思う。
年寄は、ついて行けないけれど・・・。

きょうは、「灯りまつり」
天気は何とか持ちそうだから
今晩は、久し振りに"夜遊び"をしようと思っている。

結果は、後日・・・。

   08-aki-001.jpg 08-aki-002.jpg 08-aki-003.jpg
        08-aki-004.jpg 08-aki-005.jpg


2008年02月08日

翻訳機


「尾道弁」の電子辞書が有れば良いと思う。

"*えっとで、えっと、えっとしたが、えっとのこたーなかった"

"*こりゃー いけん"


現在、当ブログの翻訳機改良中。  → → → →


2007年12月20日

本日の収獲???

きょう、久し振りにフェラーリ・オープンカーで町に出た。
快晴で、夕日が大変きれいだった。
シャッターを押してみた。

 rakujitu-0001.jpg rakujitu-0002.jpg rakujitu-0003.jpg
        rakujitu-0004.jpg rakujitu-0005.jpg

       尾道は夕日、夕焼け、落日、夜景がきれいな町。

            随時、ポイント紹介いたします。


2007年12月02日

Ono・Ono

       おの・おの

   またまた、面白いものが・・・・・。
       onoono-001.jpg
   
      尾道専門の情報誌。

旧尾道・向島・松永中心部・・・全戸無料
月、2回発行で、
来年1月25日からの、創刊号にてスタートする。

グルメ・ファッション・イベント・お買い物・・・などなどの情報。

この「フリーペーパー」は、
今までの情報誌とは少々志向が違って
各家庭で、ストックして貰えるようなものを目指している。

約15年も前から、私が親しくして貰っている社長が
我が家を訪れる度に、話して呉れていた。
その夢が、このたび実現したのである。

いろんなアイデアを持っているようで、
既存の情報誌とは別路線を行くようだ。


     発行:  おのおの編集局
             〒722-0035
               広島県尾道市土堂 1-2-4
                 TEL 0848-24-3812

     尾道も、ますます面白くなってくる。


2007年11月20日

ご迷惑を

「ブログ尾道むかし話」をご覧下さって有り難う御座います。

最近、コメントの書き込み時間が異様に長く掛かっていましたが
この度、設定の変更を致しましたので、解消されていると思います。

万一、同様の症状が出るようでしたら、ご一報下さい。

今後も気楽にコメントをお寄せ下さい。


2007年11月13日

これぞ尾道

本日は、
きのう、おととい、と違って、ぽかぽかと暖かい一日。
例のフェラーリ・オープンカーに乗って市内を巡回した。
なんとも言えない、こんな風景。

nonbiri-001.jpgnonbiri-002.jpg
nonbiri-004.jpgnonbiri-003.jpg
     暫くの時間、ここのおじさんと話して
       すがすがしく、ゆったりと、落ち着いた気分になれた。
            尾道に住んでて良かった。

      きょうは、20キロ位は走っただろうか??
         今晩も、ぐっすりと寝れるぞ・・・。


2007年08月13日

お盆の尾道

「港町 尾道」のお盆は、最近では全く様変わりしてしまった。

昔「雁木」であった船着場には、
「渡廻船」が何十隻と停泊していたが、今では・・・。
    sanbasi-002.jpg

あれだけ賑わっていた桟橋も・・・。
    sanbasi-001.jpg

しかし、道路の渋滞はあっても、
全国から「尾道」へ訪れて下さる方がどんどん増えている。

   この、"のんびり"とした尾道の雰囲気が、また、いい。
       尾道のお盆は、これで良いのだと思う。

            私が歳をとったからかも知れないが・・・。


2007年04月10日

尾道桜情報No.15

今年、尾道の「さくら」は、まだまだ見れます。

4月10日(火) 午後4時30分 はれ
「天寧寺」

     誰も居ない天寧寺境内。
      最後の花見に行った。
       2本の「枝垂れ桜」、ともに咲いて綺麗。
   尾道桜情報-0097.jpg
         尾道桜情報-0098.jpg

        「牡丹」も咲き始めていた。
          「枝垂れ桜」をバックに「牡丹」もいい。
      尾道桜情報-0099.jpg 尾道桜情報-0100.jpg 尾道桜情報-0101.jpg

             尾道は、まだ、しばらく花が楽しめる。


2007年04月06日

尾道桜情報No.14

4月6日(金) 午後4時 くもり
「西國寺」

                 この絵に、ことば不要

   尾道桜情報-0096.jpg

       「NHKハイビジョン」の収録、明日と明後日の予定だとか
       全国放送との事、天気を祈るのみ・・・。


2007年04月05日

尾道桜情報No.13

4月5日(木) 午後5時30分~6時30分 はれ
「千光寺山公園」

ちょっと肌寒いが、沢山の陣取り。

      尾道桜情報-0086.jpg 尾道桜情報-0087.jpg
                 尾道桜情報-0088.jpg 尾道桜情報-0089.jpg
    尾道桜情報-0090.jpg
    尾道桜情報-0091.jpg 尾道桜情報-0092.jpg
         尾道桜情報-0093.jpg 尾道桜情報-0094.jpg
       尾道桜情報-0095.jpg

      この天気だと、土曜日、日曜日は凄い事になるのだろう。


尾道桜情報No.12

4月5日(木) 午前11時30分~午後1時30分 はれ
「市内各所」

    きょうは、昨日と打って変わって
    穏やかで暖かい日になった。
    市内は観光のお客さんでいっぱい。
    ラーメン屋の行列も長蛇。

               彼方だけの「予約席」
    尾道桜情報-0072.jpg
                  フェリーの上から

    尾道桜情報-0073.jpg 尾道桜情報-0074.jpg
                    「西郷寺」

    尾道桜情報-0075.jpg 尾道桜情報-0076.jpg
                    「信行寺」

    尾道桜情報-0077.jpg 尾道桜情報-0078.jpg
                    「寶土寺」

    尾道桜情報-0079.jpg 尾道桜情報-0080.jpg
                  「文学記念公園」

    尾道桜情報-0081.jpg 尾道桜情報-0082.jpg
    尾道桜情報-0083.jpg 尾道桜情報-0084.jpg
                   向島「秀山荘」

    尾道桜情報-0085.jpg
                   「寶土寺墓地」

           この天気が、続いてくれますように・・・。


2007年04月04日

尾道桜情報No.11

4月4日(水) 4時45分~ くもり、にわか雨、はれ
「西國寺」

    仕事の途中、晴れたので、急いで行ったが
    タッチの差で、太陽が山に隠れてしまった。

   尾道桜情報-0063.jpg
    尾道桜情報-0064.jpg    尾道桜情報-0065.jpg
    尾道桜情報-0066.jpg    尾道桜情報-0067.jpg
    尾道桜情報-0068.jpg    尾道桜情報-0069.jpg
    尾道桜情報-0070.jpg    尾道桜情報-0071.jpg

     桜は八分咲けば満開と言うそうな。
      言われてみれば、木全体の花が開くときはないなぁー。
       枝先が咲いた時は、枝元の花は散っているのだ。
        
          となれば、まさしく、今が「満開」である。
       通り雨の後、満開の桜花と多寶塔を夕日が包んだ。

        ここ西國寺は、きょうも静かな夜を迎える。


2007年04月02日

尾道桜情報No.10

4月2日(月) 午前11時30分~午後1時30分 くもり(黄砂)
「市内各所」

    黄砂舞い、桜花咲き乱れる尾道
    彼方だけの「予約席」

    尾道桜情報-0051.jpg 尾道桜情報-0052.jpg
             「平山神社跡」 海龍寺東    

    尾道桜情報-0055.jpg 尾道桜情報-0056.jpg
                「浄土寺」自動車道

    尾道桜情報-0057.jpg 尾道桜情報-0058.jpg
                 「海徳寺」山門

    尾道桜情報-0059.jpg 尾道桜情報-0060.jpg
           映画「ふたり」ロケ地 海徳寺入り口

    尾道桜情報-0061.jpg 尾道桜情報-0062.jpg
                 「寶土寺」境内

      ふと、通り過ぎそうになるポイントを選んでみた。

    きょうは、黄砂の影響で"ねむい"写真になってしまった。


2007年04月01日

尾道桜情報No.9

3月31日(土) 午後7時 くもり
「千光寺公園」

    仕事の途中、大急ぎで周ってみた。
    今にも降りそうな空模様であったが
    ちらり、ほらりと夜桜の宴あり。

    尾道桜情報-0045.jpg 尾道桜情報-0046.jpg
    尾道桜情報-0047.jpg 尾道桜情報-0048.jpg
    尾道桜情報-0049.jpg 尾道桜情報-0050.jpg

        これからの一週間、天候を祈るのみ。


2007年03月31日

尾道桜情報No.8

3月30日(金) 午後8時 はれ
「西国寺」

   早々と、ひとりで夜桜を見てきた。
   ひっそりとした境内、私一人だけシャッターを切る。

   尾道桜情報-0039.jpg 尾道桜情報-0040.jpg
   尾道桜情報-0041.jpg 尾道桜情報-0042.jpg
   尾道桜情報-0043.jpg 尾道桜情報-joho-0044.jpg
          境内は真っ暗で、難儀した。
     やはり、ここは尾道で一番の桜のポイントだ。

        今度の日曜日が楽しみ(雨が心配)


2007年03月30日

尾道桜情報No.7

3月30日(金) 午後1時と午後4時 はれ
「天寧寺」

    尾道の天寧寺にある「枝垂桜」
    2本の内1本だけ、もう満開になった。

   尾道桜情報-0035.jpg 尾道桜情報-0038.jpg
   尾道桜情報-0037.jpg 尾道桜情報-0036.jpg
   尾道桜情報-0031.jpg 尾道桜情報-0032.jpg
   尾道桜情報-0033.jpg 尾道桜情報-0034.jpg

    沢山の方が訪れて、歓声を上げながら眺めていた。


2007年03月26日

尾道桜情報No.6

3月26日(月) 午後1時 はれ
「西國寺」

5歳ほどの男の子
静かな西國寺の石段
最上段に座り、尾道の町へ向けて
大声で  "きぃもちいいー" 。

        たいへん気持ちが良い風の吹く西國寺
  尾道桜情報-0021.jpg 尾道桜情報-0022.jpg 尾道桜情報-0023.jpg
  尾道桜情報-0024.jpg 尾道桜情報-0025.jpg 尾道桜情報-0026.jpg
  尾道桜情報-0027.jpg 尾道桜情報-0028.jpg 尾道桜情報-0029.jpg

             「時雨茶屋」前の枝垂桜
            尾道桜情報-0030.jpg

  千光寺公園は多くの人が歩いていたが、まだの状態だった。


2007年03月23日

尾道桜情報No.5

3月23日(金) 午後3時 うすぐもり
「西國寺」

            "いよいよ、咲きますよ~"

     このピンク色と若草色がなんとも言えません。
     明日の今頃、もっといい感じでしょうね。
    尾道桜情報-0016.jpg  尾道桜情報-0017.jpg
     尾道桜情報-0018.jpg 
    尾道桜情報-0019.jpg  尾道桜情報-0020.jpg
      ここ西國寺      
    午後の日差しが、愛宕山に沈む時刻
         斜光に照らされキラキラと光る花びらは
             尾道一の桜スポットとしてお薦めしたい。

           土、日の雨は何とかならぬものか・・・。



2007年03月22日

尾道桜情報No.4

3月22日(木) 午後6時 くもり
「千光寺公園」

準備万端ととのいました。
      「ぼんぼり」も「大きなゴミ箱」も「屋台」も・・・
                  何もかも全部準備ができました。

              さあ、お越し下さい。
             
    尾道桜情報-0011.jpg 尾道桜情報-0012.jpg
             尾道桜情報-0015.jpg
    尾道桜情報-0013.jpg 尾道桜情報-0014.jpg

   この暖かさが続けば、土曜日あたりは「ほころび初め」か?


2007年03月20日

とうだい

初めて尾道へ観光で来られたお客さんが
"尾道は川が有るんですね"

川と間違えるほど、狭い「尾道水道」
50年ほど前には、想像がつかないほど混雑していた。
現在の駅前交差点のような状態だったのだ。

その頃は、たくさんの海運会社が航路を持っており
「巡航船」が尾道と今治の間の島々を「東回り」「西回り」で巡り
「駅前桟橋」と「中央桟橋」に、ひっきりなしにお客を運び込んできた。
(駅前桟橋は、現在の位置とは少し違い、駅の真正面に有った)

また、尾道は荷物の集積場であったた為、大きな貨物船が出入りし
日用品や農作物を運ぶ島巡りの「渡廻船」も無数に寄港していた。

勿論、造船所も最高潮の時代で新造船や修繕船、タグボート、ランチなども
狭い水道を往来した。

その運航の安全のために造られた「尾道燈台(小歌島燈台)」
いつ設置されたのか、今も現役で頑張ってくれている。
    小歌島灯台-001.jpg 小歌島灯台-002.jpg

           "わしゃー とうだい出 じゃけー"
           "おかじま じゃろーがー"

           これを、子供の頃よく使ったものだ。
              今の子供はどうかな?


2007年03月18日

尾道桜情報No.3

3月18日(日) 午前11時30分 くもり
「千光寺公園」

公園内の売店のおじさん
"こぎゃーに さぶかったら だめでー"
2月よりも、ずいぶん寒くなってしまった。

公園の頂上付近を"ぐるっと"一周してみたが
     尾道桜情報-0007.jpg
         尾道桜情報-0008.jpg
     目に付いたのは、この2輪のみだった。

   尾道桜情報-0009.jpg
     まだ、ちょっと寒そう。

        尾道桜情報-0010.jpg
        一番のり・・・"場~所取った"

     それでも、展望台付近は沢山の人だった。

    来週の日曜日には「花見」が出来るかな??


2007年03月14日

尾道桜情報No.2

3月14日(水) 午後00時30分 くもり
「西國寺」

ちょっと、時間が有ったので仕事の途中にパチリ。

     尾道桜情報-0004.jpg

          西國寺は静かに
        尾道桜情報-0005.jpg

           "しっとり"とたたずんでいた。
           尾道桜情報-0006.jpg
     来週のなかばには、もう、ほころんでいるかも

       帰り際、埼玉から来られた
           一人旅の若い女性と、二言三言はなした。
         次回は必ず友達と一緒に来られるという。

       久し振りに、午後からの仕事が
     "スイスイ"はかどったのは言うまでもない。

2007年03月11日

尾道桜情報No.1

3月11日(日)午前11時30分 くもり
「千光寺公園」

少し寒々とした日曜日である。
観光のお客さんはまばら。

   時折、雲の切れた青空から射す陽が心地よい。

日立造船所跡に出来た鉄工所も、きょうは休み
        尾道桜情報-0003.jpg
フェリーが尾道水道を行き交う。
            尾道桜情報-0002.jpg
来週の日曜日には、幾らか蕾が膨らんで
                尾道桜情報-0001.jpg
             この公園にも沢山の人が来てくださる。

古いですが、尾道の桜の見所情報
http://www.onomichi.jp/ono/sirase/sakura/sakura_sokuho.html

      尾道はいつ見ても好い町だ!


2006年12月31日

御礼参り

我が氏神「烏須井八幡神社(うすい)」。
今年も無事に過ごさせて頂きました。

昨年の暮れは特別な忙しさで、お礼参りをしていなかった。
今年は何をおいても、お参りしようと思う。

      usui-torii-01.jpg

   今晩の準備万端、若い者が力を合わせて頑張ってくれる。
      頼もしい限り。

         usui-jyunbi-00.jpg usui-jyunbi-01.jpg usui-jyunbi-02.jpg
                              usui-jyunbi-03.jpg usui-jyunbi-04.jpg usui-jyunbi-05.jpg


   烏須井八幡神社(栗原八幡神社)は、縁結びの神社         
          ありがたい御守り
              「貝守」
     kai_mamori-01.jpg kai_mamori-03.jpg
             オリジナル「とんぼ玉」
         tonbo-tama01.jpg tonbo-tama02.jpg
                    えにし「縁守」
              enisi-mamori-01.jpg enisi-mamori-02.jpg
                     

       勿論、御守りも沢山の種類がある
       omamori-01.jpg

    神様は本来、無事に過ごさせて頂いた
            お礼参りをするのが正しいらしい    
       特設駐車場も準備してあるようなので        
                今晩、出かけようと思っている。




2006年11月16日

木守柿

尾道地方だけではないのか、ここ数年の天候は変だと思う。

我が家にある柿の木には、まだまだ柿の実が沢山残っている。
三本のうち、二本は、小鳥たちの餌にと思ってそのままにしているが
1本は殆ど無くなってしまったので「木守柿」をした。

昔の人は、慈悲の心で何事にも接していたのだろう。

         柿の実を、ひとつだけ木に残し
         自然の神様へ感謝の心と来年の豊作を願い
         そして、小鳥たちも餌に事欠かないように
     木守柿-01.jpg 木守柿-02.jpg
              「木守柿(きまもりがき)」

      日本人は完全に自然と一体で有ったのだと思う。

      残念ながら、そんな日本的思想が通用しない時代
   なんとか、取り戻したいと思う、日本人の優しい心と行動を・・・。


2006年11月10日

招かざる客

皆様には、いつもブログ尾道むかし話
     ご覧下さり誠に有難く厚く御禮申し上げます。

私事ではございますが・・・、
最近、得体の知れぬ「トラックバック」が時々御座いまして
恐らくは、スパムであろうと推測をばしておりますが
素性がはっきり致しますまで、皆様にご迷惑をお掛けせぬ様
今後の「トラックバック」につきましては事前確認とさせていただきます。

今のところ、「トラックバック」にのみ事前確認を設定致して居りますので
「コメント」につきましては、従前どおり、書き込み後即反映をされます。
どうか、今後もお気軽にお書き込みの程お願い申します。

尚、「トラックバック」の確認認証は真夜中、早朝を除き
数時間後には、反映されるよう頑張って処理を致します。

どうぞ、今後共よろしくお願い申し上げます。


                   《 ブログ尾道むかし話 》家主 権太郎


2006年10月18日

**は世につれ

「尾道jinnさん」の面白い記述があった。
http://onomichi.no-blog.jp/log/2006/10/post_f78c.html

尾の道=龍の尾・・・は、
どこかの本(「龍の町・尾道」であったか?)で読んだことがあるが、
事、左様なように、事は"世につれ"なのであろうと思う。

一時期(10年ほど前)、「猫の町おのみち」を小生も後押ししていた。
    旧招き猫-01.jpg  旧招き猫-02.jpg
    旧招き猫-03.jpg  旧招き猫-04.jpg
しかし、今は「おのみちドビンの町」に移行したかのようである。

タイル小路」も一世を風靡し、
    タイル小路-01.jpg  タイル小路-02.jpg
猫の細道」も現れた。
    招き猫-21.jpg  招き猫-22.jpg
    招き猫-23.jpg  招き猫-24.jpg

「歴史」と言う難しげなものは、専門家に任せるとして
やはり、「時代」は一般庶民が、その時その時の世相で
日々創られてゆくものと思う。

今また、「龍」が尾道の空を駆け巡っているのだろうか?

「時は巡る」のであれば、次は何が巡ってくるのか?


2006年09月05日

静寂

ダダダダダッガガガガガンガーンガーンガーン
60年ほど前の尾道。

その頃は、市民の半分と言えばオーバーだが
沢山の人が造船に関わっていた。
尾道は、随分と活気があってにぎやかだった。 
ドック-02

これは10年ほど前
昔の造船は、鉄板と鉄板を繋ぐ手段は
鋲(びょう)だったので、凄い音がしていた。
電気溶接もあったが、今ほど技術が進んでいなかったので
鉄板に(あな屋)が無数に開けた穴を鋲でかしめる

コークスで真っ赤に焼いた鋲を火バサミで挟んで
受け手の居る高いところまでヒョイと投げ上げる
すると、受け手はメガホンを小さくしたような工具で受け止め
鉄板へ開けた穴に鋲を差し込んで、(かしめ屋)が船体の
中の者と外の者で息を合わせて鋲を止める。
一日に何百回と繰り返す、職人技だったが重労働でもあった。
昔の人は辛抱人だった。

その鋲止めに、圧縮空気で駆動する(リベットハンマー)を使う。
船台のあちこちで、ガガガガガァン・・・・とハンマーの音がうるさい。
大ハンマーで鉄板の手直しをするガン!ガン!という大きな音。
時には、夜中まで音が聞こえることもあった。
だが、今ほど公害に敏感でなかったし、尾道の基幹産業だったから
みんな納得していたようだったが・・・。
その為、ドックの現場工員は難聴になったり、今で言う中皮腫にも
多くの人がかかったようだ。
私の親父は(あな屋)だったので、難聴と中皮腫で亡くなった。
昔だったので、保障は全く無かったが・・・。
            ドック-01
  あんなに、うるさくて、埃っぽかった尾道も
     今では、寺の撞く「時の鐘」が心地良く響く静かな町になった。


2006年08月29日

晩寄りさん

ここ尾道では、魚の曳き売りを晩寄りと言う。
尾道の旧市内では、沢山の晩寄りさんがあちこちで店を出している。
    晩寄り-01   晩寄り-02   晩寄り-03
         晩寄り-04   晩寄り-05
   どの晩寄りさんも、朝ご主人や息子さんが獲ってきた魚を
  その日に売るので大変鮮度が良い。
    この魚を食べる人は、他所の観光地で食べる魚を
     旨いと思わないそうだ。
      私もそのひとりだが・・・。

     この写真を見て思い出した。

   晩寄りさん、2~30年前までは山の手も売って歩いた。
   勿論、手押し車は山には登れない。
    車は町において置く。
    魚はトロ箱か大きなタライに入れる。
    その中に包丁まな板棒ばかりを入れる。
    あとは手拭が一枚。(タオルは高価なので)
   
    まず、手拭ドーナツ状に丸める。
    頭の上にそれを置くと、ヒョイとトロ箱頭上に乗せて
      "さぁかなぁー、さかなは いりゃんせんかぁー"
      "あけぎゃー(開け貝) はいらんのー"
      "いかなごぉー、いかなごは いらんかのぉー"
  どっしりと、腰の安定したおばちゃんが売り歩いた。
   盆、正月の前は、魚の入ったトロ箱3枚も頭の上に乗せて
   山道を行商して歩いたのだ。

     おばちゃん達は、まだ元気で居られるが、
    今ではそんな光景を見ることはなくなった。


2006年08月25日

ガイド犬どびん昔話

尾道には超有名なビッグスターがいる。
こうめガイド犬どびん(ドビン)。

   こうめは以前のご主人が突然亡くなられて
  「招き猫美術館」へ引き取られた猫。

   一方、どびん(ドビン)は、事情があって
  最初のご主人が尾道を去られることになり
  兄妹が別れて暮らすことになってしまった
   兄はご主人と一緒に行ってしまったが
  妹は尾道に残った。

 わたしは、最初のご主人に兄妹で拾われたんです。
その時、兄ちゃんは、熊のような風体をしてたので「くま」
 私は、ご主人がホテル関係の仕事だったため
料理の土瓶蒸しからどびんになってしまったんです。
 知らない人は最初"トビンロビン?"って言ってたんですが
女の子で「どびん」は変ですよねぇ。
 でも、実際そうなんです。
今でもロビンて呼ぶ人がいますが、本当はどびん(ドビン)。

 今は、最っ高に幸せ、
でも、7~8年前、もうひと波乱あったんです。

 二番目のご主人だった「おばあちゃん」が息子さんと
同居されることになり、私を連れて行って貰えないため
またまた、ご主人が変わることになったんです。

 色々あったんですが、4人家族だった現在のご主人に
引き取られる事になりました。
 「おとうさん」と「おかあさん」、たろう兄ちゃんみみ姉ちゃん、
そして「わたし」が加わって大家族になってしまったんです。
 「おとうさん」と「おかあさん」以外はみんな私と同じ。
 大の犬好きご夫妻。
    ラッキーッ
        ガイド犬どびん写真No1
                  どびん
             たろう      みみ

 でも、悲しい事もあったんです。
「みみ」姉ちゃんが4年前、「たろう」兄ちゃんが去年
突然に亡くなってしまったんです。
 「おとうさん」と「おかあさん」が落ち込んでるのを、
私一人で頑張って一所懸命支えてたんですが
去年、ラッキーなことに妹ができたんです。
 どこかに捨てられていた子を、おとうさんが連れてきたんです。
名前はびびちゃん。
 びびちゃんは、少しわがままなので
私がここへ来た時みみ姉ちゃんにしてもらったのと同じ様に
今度は私がびびにお行儀してるんですが
まあまあ、今はいくらか良くなったので私も一安心。
 でも、名前と同じびびびびりは直りません。
        ガイド犬どびん写真No2
           おかあさん
                 びび
                    どびん

 びびは、毎日おとうさん、おかあさんと一緒に会社へ出勤します。
きのう24日、みんなと一緒に私も久しぶりに出勤して
びびの勤務ぶりを見てきましたが、もう任せて大丈夫のようです。
 これで、わたしも安心してガイドに出かけられますので
これからも、まだまだ尾道をガイドしますから皆さんよろしくね。

 でももう、私は14歳、おばあさんなので、マイペースです。
今度逢ったら"どびんおばあちゃん"と呼んでください。
 それと、みんなに"ちょっと、デブね"て言われるんですが
これは、今のご主人に引き取られた時、
ちょこっと、手術をしてもらったからかしら??
 こんな格好が"おばあちゃん"らしくて良いでしょう?
    でも、本当は、ダイエット中なんですょ。

   いつもいつも、お世話になっています観光客のみなさんと
  T寿司さん、K毛糸屋さん、T商店さん、S写真館さん、S福亭さん
   それと、最初からお世話になってるボランティァガイドの
     Tおじさん、また、お宅に泊まらせてくださいね。
        ガイド犬どびん
       みなさん、これからもよろしくお願いします。

            また、近況をお便りします。


2006年08月17日

夏休みの思い出③

我が家の周りに、西條柿の大木が3本ある。
特別な手入れをする訳でもなく、肥料をやるでもないが
どんどん大きくなり、毎年たくさん実をつけてくれる。

この柿の木に、夏場は毎日多くの来客がある。
             せみだ。

semi-gyangyan.jpg
じゃんじゃん

semi-chichi.jpg
ちいちい

semi-abura.jpg
あぶら 

kamakiri.jpg
かまきり

semi-tukutuku.jpg
つくつくぼーし

これを追って、子供達が虫かごを持ってやってくる。
クーラーの効いた部屋から見ていると、なんとも微笑ましい。

私が子供の頃は、"トリモチ"が主流で"ハエ取り紙"の間に
"ごんぼ竿"を挟んでクルクルッと回して"モチ"を付ける。
少し時間がある時は山に登り、松の木の枝分かれした所に
共生している木(名前不明)の実をとってきて、口に含んで
噛むと"とりもち"の様なものが出来るので、これを竿の先に
巻きつけて使う。
しかし、"もち"だと捕まえた"せみ"がお互いに"くっついて"
羽などが"ぐちゃぐちゃ"になってしまっていた。

   そこで、がんばって"せみ専用あみ"を自分で作る。
  勿論、"虫あみ"も売っているが、自分流の物を作るのだ。
  売っている"虫あみ"は35~40センチ位の直径があるので
  枝が沢山出ている木では捕りづらいし、横から逃げてしまい
  "せみ"が捕れる確率が低くなる。
    で、シーツか何かの切れ端、針金つなぎ竿を使って
      直径15センチほどの"あみ"を作る。
      この直径15センチとシーツがミソで、
      直径が小さいので狭い所にも入り易く
      網で出来ているものより枝にかかり難い。
      それと、つなぎ竿だと自由に長さが調節できる。

    こんな道具で捕った"せみ"を親父が竹ひごで作って呉れた
     "虫かご"へ一杯に入れて意気揚々と帰ったものだ。

    "せみ捕り"に来た子供たちを見ていて、走馬燈が回った。


2006年08月11日

夏休みの思い出②

尾道と向嶋は昔から密接な関係だったため
尾道水道(玉之浦)は渡し舟がたくさん行き交う。
 5~60年前の私が子供の頃は七路線もあった。
昭和25年くらいまで、渡し舟によっては手漕ぎも
残っていたように記憶しているが正確な記憶ではない。
どなたか情報を・・・。
kuwada-01.jpg tamari-01.jpg kisimoto-01.jpg onomichi-01.jpg

桑田渡船
兼吉丸使用

玉里の渡し
廃止

岸元渡船
しまなみ渡船

公営渡船
尾道渡船

fukumoto-01.jpg ekimae-01.jpg  arii-01.jpg 

福本渡船

駅前渡船

 有井の渡し
廃止

   その頃、一番進んでいた渡し舟が
  向島ドック(日立造船)の"わたし"であった。
西ドックの"わたし"は進水式を見る時1~2度乗ったが
東ドックは親父の仕事場だった関係でよく渡った。
ここは浄土寺下と東ドックを結んでいて、朝夕の通勤時は
何杯もの船がピストン運行していたのを覚えている。
後に"玉里の渡し"となって、つい先頃まで昔と同型の船で
運行していたが、今は無くなってしまった。

昔のその他の"渡し舟"は、今のフェリーの様な格好ではなく
手漕ぎ舟に毛の生えた"チャッチャ舟"だったので
自転車を乗せるのが関の山であった。
渡し舟は自動車を乗せないので、船首に上下する鉄板は無く
バタ板(アユミ)を"すべり"や"雁木"に架けて乗り降りした。
(この頃、駅前、中央桟橋以外に浮き桟橋は無かった)

そんな"渡し舟"が、われわれ"ガキ"どもの標的になる。
船頭さんが"バタ"を架けたり外したりしている隙に
舟の後ろにチョコンと腰かけておく、要するに"ただ乗り"だ。
思えば、船頭さんも粋だったもので"ただ乗り"が分っていても
知って知らん振りをしてくれていたのである。
尾道側の渡し場を少しばかり(50メーターほど)離れたところで
"こらぁー、おみゃーらー、なにしょーるんにゃー"とくる。
"ドッブーン・・・"、流されながら千光寺や浄土寺を見つつ泳ぎ帰る。
一日に何度もそれが出来ていたのだから天下泰平だった。
 兄貴などは、あの流れの速い尾道水道を泳ぎ渡っていたのだから
   こんなのは序の口だった。

それにしても、あの頃のあんなに沢山の船が行き交うところで
よくもまあ、随分と危険な遊びをしていたものだ。
      今から思えば、身の毛が弥立つ。


2006年07月31日

夏休みの想い出①

今の子供も夏休みは、楽しみなんだろうと思うが
私などは、夏休みの宿題など全くやったことが無かった。
それほど、夏休みの間は楽しくゆったりと遊んだものだ。
宿題ができていなくても、むかしの先生はおおらかで、
教室の出入り口の廊下に立たせるくらいが関の山だったように思う。

      5~60年前の話になる。
  むかしは、大人も子供も 池、川、海 どこでても泳いだが、
  私の場合、久保町で生まれ育ったので防地川に良く入った。
    しかし、泳ぐのは殆ど毎日 海に行ったものだ。

   我が家から海まで、おおよそ300メートルほどあり
  泳ぎに出かける時は、心構えが必要であった。
   防地口の三角地にポリボックスが有ったからだ。
   (子供ながら、洒落た呼び方をしていたもんだ)

   当時、子供の海パンなど買って貰えるはずも無く
  体のいい者でも"越中"であったし、悪ければ"振りチン"。
  家を出る時"巡査に捕まるでー"の母ちゃんの声を尻目に
      素っ裸で、防地口を一気に走り抜けて、
         石屋を目指して突っ走る。

この石屋と言うのが、魚信旅館の東側に2~3軒の石屋があって
ここの沖合いで近くの人たちが貝堀りや海水浴をしていた。
 石屋のおじさんは、いつも下を向いてカチンカチンと石を刻んでいたので
まだ潮が2~3メーター残っていて、誰も来ていない海へ向かって、
  石屋さんの仕事場を一直線に通り抜けて海へダイブする。
   これが、なんとも言えない快感であった・・・・・。
勿論、おじさんも分っていて、見て見ぬふりをして呉れるのである。
      uonobu-01.jpg
この場所には、魚信旅館の小路の雁木から乗れる"貸しボート屋"があり
沢山のボートが尾道水道に漂っていた。
(他にも2~3箇所"貸しボート屋"が有ったと思うが、定かではない)
時間になると、大きな"メガホン"で知らせてくれる。
時には、潮流で流されて帰って来れなくなった女性を助けに行く。

  この防地川から運ばれた砂洲の話題だけでも語り尽くせぬ。
              古き良き時代。


2006年07月20日

忘れられた「川」

  昔々の其の昔、1200年ほど昔の尾道、
向嶋を防波堤としていたは良港として発展したが
陸路での重要な出入り口はぼうじ峠だったようだ。
(現在の国道2号線の道は影も形も無かった)
booji-01.jpg
   この「ぼうじ峠」あたりを源とする、
    「浦」唯一の川ぼうじ川
初期の玉之浦(尾道)発展に大きく貢献した。
      ・・・とは私が思うだけ??

ぼうじ谷にある西江寺(西郷寺)は、
650余年前に創建されたがその時ですら、
西に入り江を見て建てられたので西江寺と称されていて
1150年ほど前に鎮座された亀山八幡神社(久保八幡神社)は、
丘であった亀山の周りに「浦」の波が打ち寄せていたと言う。
 察するに、「ぼうじ谷」も随分と深くまで「入り江」であったようだ。
勿論、長江谷も同様で、
   現尾道の平地は全部であった事になる。

             町は、殆ど無い!!

「建治元年(1275)」730年前に描かれた尾道の古絵図に於いてすらも
人家は、浄土寺下西国寺下丹花の東丑寅(艮)前幸の前(天寧寺下)
寶土寺下に密集、その他の場所では点在していたように記されている。
  1000年も前だと尾崎西国寺大門(正言)丹花(福善寺の南)
  その他神社・寺の周りに点在していたであろう人家は、
  そう多くはなかったはずだ。

と言う事は、
  つづら折れのぼうじ峠を下った
    ぼうじ川周辺や尾崎の辺りから、
      徐々に西方に向かって
        「浦」が発展したとは考えられないだろうか?

   いろいろな書物などに出てくるぼうじ
     房路(山の傍らに出来た路)
     坊士 意味不明
     坊地(「西国坊(西国寺)」の地内だった)
     防地(敵の侵入を防いだ)・・・聞き伝え・・・現在使用
(バス停防地口・町名防地町・施設坊士浄水場が残っている)
 昔、私が ふな、どじょう、えび、かに などを獲った防地川の名は、
 現在では全く使われない。

      玉の浦に流れ下り、大変きれいであった防地川
       60年ほど前暗渠の排水路とされてしまい、
        今は全く実感できなくなってしまった。
             忘れられたのである。