メイン

2007年03月28日

花見通り

尾道の「さくら」と言えば「千光寺」

むかし、むかし、60年ほど昔の話。
まだまだ、尾道が備後の中心を成していたころ
備後、瀬戸内で、花見処と言えば千光寺であった。

その頃の千光寺山には、「料亭」「売店」「休憩所」などが沢山有り
「動物園」や「乗り物」「遊具」も設置されて、近郊では唯一の
ワンダーランドだった。

通常でも多くの人が行き来した尾道が
「さくら」のシーズンになると、ものすごい人の数になる。
国鉄や島廻りの巡航船でどんどん人が訪れた。

    その「島周り」の船着場のひとつ「中央桟橋」は
    桜シーズンになると、一日の人の出入りが
    数百人は優に超えていただろうと思う。
   koujindo-01.jpg
   (今は桟橋へ寄る船は無く、建物は建て替えられて
    「商工会議所」になってしまった。)

     その人達は桟橋から、この「荒神堂」を一直線に
     通り抜けて、千光寺の「本参道」へ向うのだ。
   尾道荒神堂-02.jpg
   (尾道で最初に出来たと言われる商店街の「荒神堂」
    昔は、今時のラッシュアワー以上の混雑で
    通り抜けるだけでも大変な事だった。
    一日中、人の列が途切れることは無かった。)

   尾道千光寺本参堂-03.jpg
この通りを抜けて、本通りと国道(昔は自動車は居ない)を横切ると
いよいよ、参道の石段が始まる。
ゴザ、重箱、一升瓶、・・・などなど、思い思いに宴の品物を持って
「蟻の行列」の如く、千光寺山を上り下りした。

     今では、そんな光景は見られなくなってしまった。


2006年11月25日

お不動さんと小僧さん

尾道の「不動明王」は親しみの持てる方ばかり
西国一と言われた「西國寺」にも「お不動さん」として親しまれる
「不動明王」が居られる。

    大草鞋仁王門をくぐり、
    百八段の石段を登れば国重要文化財の「金堂」
    右手一段上の「唐門(現在は通れない)正面に「持佛堂」
    その左手に赤い「燈明提灯」がずらりと並ぶ「不動堂」
    左隣は「毘沙門堂」


西國寺の小僧さん
お燈明を点けるのと、お供え物を下げるのが仕事じゃった。
この仕事、少しうれしい事もある。
     西國寺不動明王-01.jpg

ある日のこと、お供え物をさげ忘れてしもうた。
急いでお供えをさげに行くと、

  "ありゃりゃ、五個あった饅頭が一個も *にゃぁ?"

不動堂の中を探したが、無い。

  "和尚さん、和尚さん、お不動さんの饅頭が *のーなっとります"
  "そりゃー、だれかさんの腹ん *なきゃー 入ったんじゃー *にゃーか?"

疑われた小僧さん、お不動さんのところへ行って

  "お不動さま、自分のお供えも守れんのんですかぁ"
  "それとも、自分で食べたんですか?"

そう言いながら、お不動さんの頭を、ポンポンと叩いた。

小僧さん、いつも頂けるお下がりのお饅頭が無くなったのと
和尚さんに濡れ衣をかけられたのとで、お不動さんに愚痴をこぼした。

  その晩は少し寝つきが悪かったが、
   次の朝暗いうち、お燈明を灯しに不動堂へ入った小僧さん、
        お燈明を点けたら、びっくり仰天。

不動明王の真っ黒い顔の眼がギラギラと光り
      汚れを清める背の火焔が燃え上がった。
        
    腰が抜けた小僧さん、
恐る恐る顔を上げて不動明王を見ると
         またまた、びっくり仰天。なんと・・・、
      煩悩をくじく剣の先に大きなネズミが突き刺さっとる。
       西國寺不動明王-02.jpg

       "ごめんなさい、ごめんなさい、頭まで叩いて・・・"

     小僧さん、畳に頭をこすりつけて丁寧にわびた。
       暫くして頭を上げると大ネズミは剣の先から消えとった。


      真言宗
         摩尼山 西國寺の「不動明王」 護摩祈願は
     毎月 8日、18日、28日の午後2時より執り行われます。
     その他の日時をご希望の場合は前もってご連絡を


2006年10月21日

金網の仁王

尾道は、暴風雨や地震も少なく、昔から大変に住みよい町。
こんな町が気に入って、尾道へ来られた「仁王さん」にまつわる話。

      西国一立派な「西國寺」、
    西国寺遠望-01.jpg
  三百年ほど前、これまた立派な門を建てた。
    仁王門-001.jpg
由緒ある寺にふさわしい仁王を探しに、京都へ出かけた住職
たいへん出来栄えの良い仁王を見つけ、代金を支払うと店の者に
    "淀川から尾道へ船で運ぶので、船着場まで運んでくだされ"

やがて、船着場へ仁王が運ばれてきた。
    "こりゃー、さっき見た仁王さんと違う"
    "いや、間違いありません"
          ・
          ・
          ・

押し問答となった。

困り果てた住職・・・
    "西國寺の仁王さま、船着場まで来て *つかーさい"
大きな声で、叫んだ。

すると、雷のような大きな声で・・・
    "尾道の西國寺の仁王はわしじゃー、わしじゃー"
    "わしらは、尾道へ行きたい"
叫びながら、船着場まで来ると、二人の仁王は自分で船に飛び乗った。

立派な仁王をお迎えした西國寺では、
仁王さんを仁王門の中へ安置、盛大な法要も無事終わり、
近郊から連日人々のお参りが続いた。

ところが、しばらくして困ったことが起こった。

尾道をたいへん気に入った仁王さん、
毎晩「門」を抜け出しては、あの大きな足で裏山を駆け回ったり
町へ遊びに行かれるので、西國寺の山は尾道の三山で一番低くなり
民家の壁や瓦は落ちて、町の人から苦情が多く寄せられた。

思案した住職
仁王さんの足を固定して、門の全体を格子で囲ってしまった。
その上、金網も張った。
   西國寺仁王門-01.jpg  西國寺仁王門-02.jpg
それ以後、
門の中から「阿(あ)」「吽(うん)」の形相で尾道を守ってくださっている。
 西國寺仁王「阿」-01.jpg西國寺仁王「吽」-01.jpg
西國寺の仁王は作者不明だが、たいへん出来が良いと言われている。
普通の仁王門の格子は中段までで、全体が格子や金網のものは珍しい。


「西國寺」秋色
   西國寺秋-01.jpg 西國寺秋-02.jpg 西國寺秋-03.jpg 西國寺秋-04.jpg


2006年10月07日

尾道の「龍」

尾道には、至るところで「龍」の伝説がある。
以前紹介した
http://blog.onomichi.jp/blog/2006/06/post_1.html
もそうであるが、
この民話伝説も「龍」の物語だ。

尾道三山「瑠璃山」の麓、
獅子山 西江寺(西郷寺)の三代目住職「託何上人(たくが)」が
九州遊行の際、唐津 松浦潟を船で渡られていた折、
雲行き悪く、雷鳴とともに龍巻、暴風雨となり、
船は木の葉のように揺れ、転覆寸前になりました。
老船頭は
    "また、龍神が暴れだしたか"
    "じゃが、信心深い方なら大丈夫じゃ"
しかし、みなは生きた心地はありません。
その時、託何上人が
    "みなさん、南無阿弥陀仏の念仏を唱えなさい"
とおっしゃられ、自らは一心に般若心経を唱えられました。
みんなも手を合わせ念仏を唱えました。

暗い海の中で龍の眼が光り、尾が波を叩きます。
やがて、大波の中から異様な声が聞こえ、段々と近づいて
船べりへ龍神となって現れ、叫びました。
    "お徳の高い遊行お上人さま、
        私は数百年来この海に住む龍でございます"
    "今まで私は、数え切れない程の船と共に、
        多くの人々の命や、山ほどの財宝を海底へ沈め
           悪業非業を重ねて参りました"
    "しかし、お上人さまの十念仏の声を耳にして
        今始めて、罪業の深さに気づきました"

いかにも、悲しそうな声でした。
    "これまでの罪業の報いがあるでしょうが
        この罪業深い私には、もう救われる道は無いのでしょうか"
涙ながらに訴える龍神を見て、
    "それはよく気がついた、南無阿弥陀仏を唱えなさい"
と上人がさとされました。

そして、龍神は「南無阿弥陀仏・・・六十万決定往生」のお札を
お上人から受けて、海中に姿を消しました。
海は穏やかになり、船は松浦港へ急ぎました。

その夜、お寺でお勤めがおこなわれました。
そのお勤めの座の中に、誰も見覚えのない白髪の老人がおり
お経が終わると、託何上人のところへ進み、頭を下げて言いました。
    "私は、きょう松浦沖で、お導きを授かりました龍神でございます"
    "取り急ぎ、お礼に参りました"

こう言って、上人にひとつの不思議な形の杓子(しゃもじ)を献上しました。
これ以来、遊行上人巡教の際は、いつも厨子に入れ持ち回られ
道中での貧しい者の食が救われたということです。

    そして、白髪老人の龍神の霊は、託何上人の徳を慕い、
    九州から尾道の「西郷寺(西江寺)」へついて来ました。
       西郷寺本堂-01.jpg
      龍神の霊は、庫裏の右手にある大岩に祀ってあり
           龍神祠-02.jpg   龍神祠-03.jpg
    毎日のお念仏の声を聞いて、永遠の安心を続けています。

 「西郷寺」本堂に入り、手を打つと大岩の龍神が喜びの声で応えます。
         有名な、西郷寺の「鳴龍天井」です。
          鳴龍天井-04.jpg

不思議な杓子は、
現在、藤沢市 「本山 遊行寺」の宝物として
厨子の中に大切に保管され、一切見ることが出来ません。
特殊な形をした「杓子」は、写真にも撮られていないそうで、
この「一粒万倍かじめの杓子
(いちりゅうまんばい)の事を
色々と調べても、「本山 遊行寺」にこれが有る理由が全く判らないそうです。


 私が、何か資料はないかと「本山 遊行寺」へ電話をして
 この「民話」の事をお話しすると、学芸員の方がびっくりされていました。

       尾道には、また龍伝説「灯り龍」が生まれた。


2006年09月29日

不動明王の夜遊び

瑠璃山の麓、海龍寺の裏「観音の小道」の急坂を登ると
暗い木々の中を抜け視界がパッと開ける。
左に有る大磐石に登って一息入れる。 しばらく休んだ後、
石の鳥居をくぐり、瑠璃山全体を守ってくださっている
瑠見岩龍王神」の下を通り抜けると、正面の大岩の内に
「不動明王」が大きな目でギョロリとこちらを睨まれる。
        不動明王岩-01.jpg
この不動明王、むかしは「遊び人」だったようだ。

ここ不動岩の真正面あたりは、尾道の花街、「新開」。
不動明王
日が暮れて、新開に灯りがつき始めると、お尻がムズムズ・・・
三味の音が聞こえてくると、もう、じっとしておれん・・・
身の丈8メートルの不動明王、そろーっと、岩から抜け出して
町へ遊びに・・・。

    "うんとこどっこい、ひとまたげ"

    "ひとつわたって、じょうどじのたに"
    "ふたまたすぎれば、きんばんしょ"
    "もひとつまたいで、ちょぼがはし"
毎日、歌いながら新開通い。

ある月夜の晩、
    "・・・・・""ひとつわたって、じょどじのたに""・・・"
と、足元で

  "お不動さん、毎晩々出て行って *じゃが
       わしも一緒に連れて行って *つかーさらん か"
  "おお、*こりゃー、こりゃー 地蔵さん、一緒に *いきゃんしょうやー"
  "*こぎゃーな、谷の道端じゃー町の賑わいも *わかるまー *けー"
       
不動明王は、地蔵を足の指に乗せると・・・
    "ふたまたすぎれば、きんばんしょ"
    "もひとつまたいで、ちょぼがはし"
あっという間に花街に着いた。
    "地蔵さん、わしゃー行き付けの飲み屋へ行く *けー
        あんたも、*どっかで 遊んで *きなしゃー"
    "いっときしたら、「ちょぼがはし」で *おちおーて*かえりゃんしょー"

不動明王、一杯のはずが、二杯、三杯・・・となり、すっかりいい気分。
いつもの調子で、
    "うんとこどっこい、ひとまたげ""・・・・・・""・・・・・・"
もうろうとし、まるっきり「お地蔵さん」のことを忘れてしまって
瑠璃山の岩の内に入ってしまいました。

方やお地蔵さん
約束の「ちょぼがはし」で、待てど暮らせどお不動さんが現れず
    "こりゃー、おいてけぼりをくろうたのー"
赤らっ顔で、ふらりふらりと酔いを醒ましながら帰ることにしました。

"こらー、なにもんじゃー、*こぎゃーな 夜更けに酔っ払うて、無礼者め"

岩の内に納まった不動明王、心地よい風に酔いも幾分醒め・・・
    "*しもーたー、地蔵さんを忘れて帰ったー"
大急ぎで、もう一度、岩を抜け出して町へ・・・
勤番所まで来た不動明王、・・・びっくり仰天・・・

「この者、酒気を帯び、深夜無断にて通行の為、打ち首に処した」

不動明王は、お地蔵さんの首と胴体を拾い上げると、
大粒の涙を流して泣きながら瑠璃山へ帰った。
その途中、そっと草むらへお地蔵さんの首と胴体を安置しました。

それ以来、「不動明王」が夜遊びをされることはなくなって、
瑠璃山の岩の内から、大きな目を見開いて、昼となく夜となく
尾道の街や港を見守ってくださっています。

「瑠璃山」を山歩きしている時、
草むらの中で、首と胴体が離れたお地蔵さんを見かけたら
それが、かわいそうな「お地蔵さん」です。

今でも、「飲酒運転」での帰宅は不幸を招いています。


2006年09月12日

"のっぽ"地蔵さん

昔むかし、背丈が3メートルもある背の高いお地蔵さんを
高須大田の福善寺にお祀りすることになりました。

ある日、車にお乗せした背高地蔵さんは、玉の浦を眺めながら
ゆったりと、みんなに引かれて福善寺に向われました。

丁度、家並みが途切れる手前の浄土寺の所で一休みしました。
一服が終わって、出かけようと思い車を押したり引いたりしましたが
今まで動いていた車が、重くて重くてどうしても動きません。

困り果てたみんなが、浄土寺の和尚さんに拝んでもらいました。
すると、お地蔵さんが
"わしは、この浄土寺がとても気に入った"
"ここに祀って呉れれば、首から上の病を治そう"
と言われたので
浄土寺の和尚さんも、お地蔵さんのわがままを聞き入れて
陽がよく当たり、見晴らしのいい場所にお祀りすることにしました。

現在、境内東の端、子安堂の左手に「延命地蔵」としてお祀りしてあります。
子供たちからは「背高地蔵さん」と呼ばれ親しまれています。
                        延命地蔵-01
その後、大田の福善寺には、この地蔵さんと同じ
"のっぽ"の地蔵さんをお連れしてお祀りしてあります。
         大田-福善寺地蔵-02

          兄弟の"のっぽ"地蔵さんのお話。


2006年09月02日

山波のバベ

尾道大橋の東尾道造船所ウバメガシの大木がある。

わしを"山波のバベ"言うて皆が呼んでくれる。
瀬戸内海の波が打ち寄せる、白い砂浜の岩の上で
2000年も世間を見てきた。

わしは、吉備津彦命が岩の上に立てた杖から芽を吹いた。
この砂浜には、わしが一人しかおらなんだが
波の音が聞こえ、小鳥がさえずり、船の櫓の音もする
時々は人が砂浜へ遊びにも来てくれた。
寂しいことは無かった。

時が流れて、ここに船番所ができた。
海の関所じゃ。
*ちーと うるそーなったかのー。
時々、役人がわしの陰で世間話をするんじゃ。
世の中のことが、よう分った。
じゃが、世が変わり、船番所も取り壊されて
*こんだー ちーと *さべしゅう なった。

しばらく *しょーたら わしを吉備津彦神社の
神木じゃ言うて、しめ縄を巻いてくれたが、
ちーと 窮屈 *じゃったん *じゃけど
毎年一月十五日にゃー 神明祭りの大きなとんど
東と西に分れて、ぶつかり合うんじゃ。
それはそれは勇壮で楽しかった。

いつの時代じゃったか、
砂浜も周りの塩田も埋め立ててしもうた。
うるさい音もするようになった。
造船所ができたんじゃ。

2000年も頑張ったが、環境が悪うなって
空気が汚れ、わしも青息吐息になった。
幹を五人の大人が抱えるほどあったが
だんだん調子が悪うなって、枝が枯れ、葉が落ちた。

"*こぎゃーな 木は、切ってしまえー"

枝を落とした者が病気になったり、調子が悪うなった。
造船所の作業中、事故で死ぬ者もつぎつぎにでた。
"こりゃー、ご神木のバチが当たったんじゃ"
こう言う噂で、わしを世話してくれる者が居らんようになった。

段々と、わしはひどい状態になってしもーた。

"ご神木を枯らしたら、もっと事故が起こる"

移植の話が造船所の人々から上がった。
神社の氏子と造船所の折り合いがつかなんだ。
長い間、協議してくれて、ようやく話がついたが
今度は、わしを動かしてくれる者が居らん。
たたりがあると言うんじゃ。

じゃが、遂にわしを助けてくれる者が現れた。
栗原町の「野中 正人」言う庭園師じゃ。
"自分がたたりを受けても、この木を守る"
こう言うて、2年間もわしを観察してくれ、全智全霊を尽くしてくれた。

以前のわしは、*ちーとばー 抵抗したが、
この度は、わしを餓死寸前から蘇らせてくれたんじゃけー
頑張ってくれた者みんなへ感謝しとる。
    山波のバベ-01
工場の内から国道を渡って北側へ移動させてくれるのは
大変じゃったじゃろうが、今は事務所の横で元気になって、
みんなを見守って毎日を過ごしとる。
            山波のバベ-02
        すぐ前が国道じゃけー、 *ちーと、うるさーがのー。
                     山波のバベ-03

大昔の事を教えちゃるけー また、遊びに来てくれーゃ。
           山波のバベ-04

   今、「山波のバベの木」は、
          2000年の時を感じさせないほど元気になった。

2006年08月19日

"はとポッポ"の寺

 京で敗れた足利尊氏の大船団が九州へ下る折、
どこからともなく真っ白いハトが飛んできて
尊氏の御座船の帆柱に止まりました。

  "次の戦いは大勝利間違いない"
尊氏は大声で叫び、家来も勇気百倍、歓声をあげました。
 途中、何事もなく西へ西へと進んだ大船団は
数日の後、島に囲まれた景色の美しい港に着きました。
      jodoji-00.jpg
  "にぎやかな町じゃが、なんというところじゃ"
     "はい、備後の国、"おのみち"でございます"
  "今宵は、ここに泊まることといたす"
錨を降ろした尊氏は、ハトに導かれ七堂伽藍を備えた
立派なお寺の石段を登ります。
               jodoji-01.jpg
  "なんという寺じゃ"
     "十一面観世音菩薩をご本尊にいただく、
                       浄土寺にございます"
  jodoji-02.jpg
  "これは、わしが日ごろ信仰しておる
          観世音菩薩のお導きに違いない"

尊氏が石段を登ると、大勢の僧侶たちが待ち受けていました。
 尊氏一行の参拝を予期していたように
   "ようこそお越しくださいました、みな心待ちにしておりました"

不思議な縁を感じた尊氏は、たくさんの金品を寄進し
    "この度の戦いは、尊氏一生の大事、
             何卒観世音菩薩様の御加護を・・・"

この祈りが通じ、尊氏は三万余の軍勢を集めると、
勢いづいて九州へ下り、無事九州を平定することができた。

帰途、再び尾道の港へ船を泊めた尊氏は一族郎党とともに
浄土寺本堂へ参籠し、1万巻の観音経を納め、和歌三十三首を献じて
観音様へ感謝の気持ちを表しました。
       
 京へ船出の前夜、尊氏の枕元に観世音菩薩が現れ
     "本堂の扉を盾板にするなら、いかなる矢石も防げる"
         jodoji-05.jpg
 住職に許しを得て、御座船に取り付けて以来、
戦いは大勝利をおさめ、ついに、室町幕府を開きました。
 以後、600年間、本堂に扉は無かったが、
先頃の昭和の大修理にて再び取り付けられた。

"白ハト"は、その後も戦いのたびに尊氏の軍勢を導きますが
世が平和になると、浄土寺に舞い戻りそのまま住み着きました。
       jodoji-03.jpgjodoji-04.jpgjodoji-06.jpg

     先祖代々"はとポッポの寺"と言われるゆえん。


2006年08月12日

かんざし燈籠

尾道の新開は瀬戸内海随一の花町で
大長の御手洗とともに海の男たちの息抜きの場だった。

  その新開で繁盛した芝居小屋に、おとなしくて可愛い
  ひとりのお茶子さんがいました。
お茶子さんは、お客が付くと座席に案内して座布団を出し、
お茶、お菓子、お酒、お弁当などの世話をします。
そして、お礼にわずかな心付けをいただきます。
 しかし、このお茶子さんは、おとなしすぎてお客を取れません。
 小屋の隅で、じっとうつむいて立ち尽くす毎日でした。

そんなある日・・・
  "席、あいとるかのー"
突然声をかけられて顔を上げると、ひとりの若者が立っとった。
  "は、はい"
娘は若者を大切に心を込めて世話をした。
言葉少なで物静かな娘に、若者は心を奪われてしもーた。
その日以来、若者は芝居小屋に通い続け
娘も若者を心待ちにするようになったんじゃ。

その内、若者の両親の耳にも入ってしもーた・・・
  "おい、*おみやーお茶子と仲ようしとる*げなが"
         "うちやー濱問屋じゃけー、立場ー考えーよ"
尾道でも有名な濱問屋の旦那が息子を呼んで意見した。
  "あの娘は、やさしゅうて、よー気の付くええ娘じゃ"
  "わしが、どおしてお茶子をもろーたら *いけんのんなぁ"
親と子のやりとりが何日も続いた。
何日か後・・・
  "*へーじゃー いっぺん 連れてきてみー"
根負けした旦那が娘と会うことにした。

びっくりした娘の親は・・・
  "どおして *こぎゃーな 貧乏人を・・・"
と言いながらも、出来る限り娘の身支度をしてやったんじゃ。
娘は親が精一杯してくれた支度で濱問屋ののれんをくぐった。

息子が連れてきた娘は、ぺっぴんさんで、言葉遣いも丁寧
気立ても優しそうだし申し分なかった。
  "う、うーん"
しばらく考えた旦那は、娘を上から下まで見回したのち・・・
  "あんたぁのー、べっぴんじゃし、気立ても えさそうな"
  "*へーじゃけーど 今どきの娘が"かんざし"ひとつ挿しとらん"
  "わりーけど うちの嫁にゃーできん"

この日のために親が無理して買うてくれた着物と履物。
娘はそれ以上の無理は言えなんだ。
両親の顔が浮かんでは消える、ただただ、切のうて切のうて。
気持ちの優しい娘は、心の中で両親に何度も何度もわびながら
    その夜、近くの井戸へ身を投げた
それから間もなく、雨の日に女の幽霊が出るようになった。
  明神さんの大イチョウの下で・・・
     "かんざしをください、かんざしをくださ~ぃ"
  kanzasi-01.jpg
お茶子さんを可愛そうに思った
近所の優しい人々がお金を出し合って、
立派な「石燈籠」を建てて供養した。

四メートルもある大きな「かんざし燈籠」
尾道の新開でお茶子の幽霊が現れる
ことは無くなった。


     こんな優しい心が、今に尾道人へ伝わっとるんじゃ。
      よそから来た人が"尾道の人はやさしい"・・・と。


2006年08月07日

たんがのゆうれい

尾道の丹花城の近くに丹花小路があった。
この小路に一軒のあめ屋があり
トントン、トントン・・・
毎晩、あめ屋の木戸を遠慮がちに叩く音がした。
  "はいはい、きょう晩も来*ちゃったんなー"
あめ屋の主人が戸を開けると、六文銭を握った白くやせた手が
スーッと戸の中に入り、か細い声で
  "丹花あめをください"
主人はいつもの通り、あめを袋に入れて渡してやります。
何度も続いたが、訳がありそうなので、主人は銭を取らなくなった。

ある雨の夜、同じ様に戸を叩く音がして、主人が戸を開けると、
  "あのぉー、これで丹花あめをください"
見ると白い着物の片袖ではないか。
主人は
  "何もいらん*けー持って*いきなしゃー"
あめを渡します。
  "ありがとうございます"
小さな声で礼を言うと、女の人はスーッと消えます。
何か訳が有りそうなので、主人がつけてゆくと
白い着物を着た女は、暗い夜道をすべるように帰ってゆきます。
主人も悟られないように後を追います。
tanga-02.jpg

夜の丹花小路     
  (たんがしょうじ)
すると、その女は寺の方へ向かい、門をくぐったと思ったら
サーッと風が吹き、青白い火がボーッと浮かびました。
その火はパッと明るくなって墓場の方へ飛んで行きました。
  "火の玉じゃー"
腰が抜ける程びっくりしたあめ屋の主人はお寺に駆け込みました。
  "あめ屋さん、どう*しちゃったんなぁー"
聞かれた主人は、今までの一部始終を話しました。
話を聞いた和尚さんは
  "*そーいゃー*こにゃーだから、夜な夜な、
     墓場で赤子の鳴き声がするゆうて、うわさが*しょーたのー"
  "*こりゃー墓場へいってみにゃー*いけんてぇー"
和尚さんとあめ屋の主人が墓場へ急いで行って見ると
丸々と元気の良さそうな赤子が、墓石へ*よかって眠っていました。

あたり一面、あめの紙袋が散らかったその墓は、
 産み月のまま亡くなった女の人の墓でした。

その赤子も心やさしい人に引き取られ、
以後、女の人が丹花小路のあめ屋に現れることは無くなりました。

       尾道に伝わる丹花の子育てゆうれいの話
     ニュースに出てくる、母親像とちょっと違うかなぁ?


2006年07月27日

歯痛地蔵

     蓮如上人(れんにょ しようにん)1415~1499が8歳の頃
 お母様が行方知れずになられ、いつも心にかけておられました。
      ある時、
"備後の国の尾崎と言うところが、お母様の生まれた場所"と聞き
心弾ませて、玉之浦の尾崎までたずねて来られました。
    でも、お母様らしい方は見つかりませんでした。
        上人は致し方なく浄土寺の僧に連れられて、
           しょんぼりと坊地峠を越えて帰って居られました。
丁度、茶堂池の土手に差し掛かられた時、歯痛に見舞われました。
ひどい痛さだったので、しばらく池の土手で休まれました。
その間もお母様のことを想い続けておられました。
  すると不思議に痛みが消えて元気になられ、
足取りも軽く 高須、今津を通り柳津へ向かわれたそうです。

  人々は、この場所にお地蔵様をおまつりし"歯痛の地蔵さん"と呼び
    "歯痛が不思議に治る"と言うことで信仰されています。
                      haita-02.jpg
    なるほど、そのお地蔵さん、近寄って見るとうなずける。
       (左側のお地蔵さんが、歯痛の地蔵)

この時、池の土手まで突いて来られた"杖"は「珊瑚樹」の大木になり
その孫の木が大田福善寺に残っています。

  4~50年前には、この茶堂池の辺りは、大きな松が茂り
昼でも薄暗く、人も殆ど通らず西国街道の役目は完全に終わっていた。

茶堂池の上池、下池は、尾道パイパスと坊士トンネルが出来るまでは
どちらの池も2倍ほども大きな池であったが、上池は幾分むかしを残し
下池は形も変わって、今では昔の面影を留めていない。

"ちゃどいけ"には、よく釣りに行ったが、この池の「鮒」は特大であった。

2006年07月23日

がんつーのキツネ

       時代もそんなに遠くない明治の中ごろ
     栗原川の河口に巌通橋ができた。
         gantu-01.jpg
  がんつーとは、がんつう(蟹)が沢山いたからだとか、
大きな巌を砕いて、橋を架け、道ができたからだとか・・・
  いろいろな説があるが、どちらにしても
    それまでは、尾道から吉和へ行くには龍王山の麓、
      七曲りの坂を越えていたので、たいへん便利になった。

   ある日、大男で力自慢の「錨職人」が祭りの余興の
  打ち合わせの為、吉和の友人宅へ出かけたのだが、
   話が長引いて遅くなってしまった。
    "提灯を"と言われたが、星明りを頼りに帰ることにした。
       真夜中近く巌通橋にさしかかると、
          どこからともなく若い女性が現れて

    "*もしもし、あにさん どこまで いってんなー"
    "*わたしゃー おのみちの ほんどおりまで いくんじゃが"
    "*くろーて きみがわりー けー"
    "*すみゃんせんが いっしょに つれてかえってつかーさい"

       夜目にも鮮やかな衣装・・・
   常日頃、巌通橋にキツネが出て悪い事をすると聞いていた錨職人
       ピィーンときた。
    「*よっしゃ、ばかされた おもわしてーて つかまえちゃろー

    "*わしも、かじやまちー かえるんじゃ"
    "*わかーおんなの ひとりあるきゃー あぶなーけー"
    "*わしが つれて かえったぎゃんさー"

       しばらく一緒に歩いていると

    "*もーちーとゆっくり あるいて つかぁしゃー"  と女が言うと、男が
    "*わしゃー はよーいなにゃー いけん あんたを おおたぎゃんしょー"

   いつも重い物を扱いなれた錨職人は、ひょいと女性を背負うと
   落ちていた縄で自分の体に縛りつけた。
    「しめしめ、もう つかまえたようなもんじゃ、みんなに じまんできる」

       職人は飛ぶようにして、鍛冶屋町まで帰った。

    "*ねーさん かえったでー"

   背中の女性に話しかけたが返答がない。
   よくよく見ると、大きな切り株を背負っているではないか。
          "やられたー"
       錨職人、地団駄踏んで悔しがった・・・・・とさ。

   四国の伊豫を追われた「狐」の仕業だったのだろうか??

2006年07月03日

「鉄の橋」と「狐」

つい先日、完全開通したしまなみ海道で、
人間よりも、事のほか喜んどる者がおる。

   事の始まりは、こうだ・・・。
 昔々の大昔、瀬戸内海を隔てた四国伊豫の国の殿様が
奥方の部屋に行かれたら、なな!何と!奥方が二人居られるではないか、
   !!びっくりした殿、目を皿にして見たが、
          どっちが本物の奥方か判らんかった。
“私が本物です”・・・話す声まで同じじゃった。

 そこで、殿様はひとりづつ話を聞くことにした。
一人目の奥方が静々と別の部屋へ進んだ、次の奥方も静々と・・・、
れれ、着物の裾から、後ろを歩く侍女の目に チラッチラッ と何かが見えた。

         ややや、!!きつねのしっぽ!!

 とうとう、「狐の御頭」は捕まって *しもぉた

    “もう、悪い事はしません
         許して頂いたら、一族を連れて四国を出ます”

じゃが、すぐに戻って来られては堪らんので、
殿様がおっしゃった。
    “今後は戻って来ること相成らん”
    “しかし、伊豫と本土鉄の橋でも架かれば別じゃ

  「狐」の一族は、泣く泣く島づたいに本土へ渡ったそうな。

それから、永い永い月日が流れた。
      ・
      ・
      ・
ある日、
  尾道あたりで大暴れしていた「狐」は、跳び上がって喜んだ。

         “これで、伊豫へ帰れるぞぉー”

kitune-hasi-01.jpg kitune-hasi-02.jpg
kitune-hasi-03.jpg kitune-hasi-04.jpg
平成18(2006)年4月29日 しまなみ海道 全線完全開通。

    この一家も、一緒に橋を渡ったかも知れない。
  
http://bisan.co.jp/shop/page/onoken015.html

           kitune-hasi-06.jpg
                 こんな夜は        
「しっぽ」をちらつかせた女性が「・・・鉄の橋」を渡ってる??かも。


2006年06月27日

堂崎の「龍王」

   まだ、堂崎の名は無く、東から玉之浦へ入る道も無かった。

そんな昔、瑠璃山(浄土寺山)の頂上の深い森の中、
少し窪んだ場所の小さな池
大昔からがのんびりと棲んでいた。
 これを知った玉之浦の住人は、長い日照りの続いた年には
みんなで恐る恐る雨乞いに向い
   ”龍王さま、雨が降らーで *おおじょう *しょうりゃんす
             *ちいとばー 雨ょー降らして *つかーさい
                                  お願いをした。
 優しい龍は、住人の願いを叶え、池にドドドーと水しぶきを立てて
水面に現れると、天に向かって真っ赤な炎を吐き、雲を呼び雷を響かせ
たちまちの内に雨を降らせた。

 住人はこの池を蛇が池、龍を龍王と呼び、
「龍王」と住人の平和な日々が永い永い間つづいた。

 玉之浦にも住人が増え、深い森もだんだん切り拓かれて行き、
とうとう、「蛇が池」の周辺にも人が住むようになり、今までの静けさが
保てなくなってしまった。
   そんなある日、日頃から親しかった曼荼羅堂のご住職に
「龍王」が打ち明けた。
  《 もう、ここではのんびりできないが、景色の良い尾道を離れて
     他の場所で暮らす気もしないので「天」に帰ることにしました 》
 
 翌朝、瑠璃山の頂まで登った「龍」は、
暫く「玉之浦」の景色を眺め、名残惜しそうにしていたが、やがて
ガラガラッと岩の音をたてながら山を降りると「曼荼羅堂」へ立ち寄り、
ご住職に丁重な挨拶をしたのち堂の庭をよぎり、一気に海へ入った。
ゆう然と松永湾を一周したのち、物凄い速さで瀬戸内海を泳ぎ、
あっという間に百貫島へたどり着いた。
 百貫島へ上がった「龍」は、雲を呼び、天空から延びた雲を捉えると
それを抱えるように大きくくねり、キラッキラッと金鱗を輝かせながら
この世のものとは思えぬ勇壮な姿で「龍神」になってしまった。

 それからと言うもの「玉之浦」の住人は、日照りが続いても
雨を降らせて貰うことができず、困り果ててしまった。
 そこで、住人達みんなで相談し「龍王」が海へ入った場所に
を造って御祀りすることにした。
 具合よく「龍王」が瑠璃山から降りた時の崩れた岩が沢山あった。
この場所は岩が沢山あって潮の流れが速かったが
   海の中にある大きな岩の上に祠を建てることにした。
       祠は龍王社、場所は堂崎である。   

   この「龍王社」は、雨乞いの神様として、近隣の人々や
 瀬戸内の島々の住民が鉦や太鼓を打ち鳴らしながら
 お参りしていたが、現在ではその風習は無くなった。
   また、海の守り神としても、玉之浦への出船、入船
 特に漁師さんたちは、必ずここで手を合わせてお祈りをした。

 その後「曼荼羅堂」は、龍の通ったお寺として海龍寺と改め、
海龍寺の東の谷には「龍」のつくった”洞穴”が有るとか!!

   昔の「祠」の場所は尾道大橋の橋脚になり
     今、陸に揚げられてしまった龍王社
        尾道大橋の橋脚の真下で
          「玉之浦(尾道)」を見守っている。

    夕暮れの「瑠璃山(浄土寺)」山頂から南に見える百貫島、
        キラッキラッと光る灯台の輝きを、
     「龍」の金鱗が光っているような気分で見ている私。