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2008年09月01日

予想は的中?

昨日は、店の若い者の子供が、野球の招待試合をすると言う。
初めて、野球の試合の写真を撮る気になり
朝から「しまなみ球場」へ出かけてみた。

小生、日頃は全然野球を見ない。
高校野球だけは、彼らの頑張る姿を見たくて時々は見る。
細かいルールは分からないのである。

そんな者が野球の写真を撮るとは???

案の定、狙いたいショットは「あっ」という間。
後手後手で、迫力のある写真は一枚も撮れなかった。

予想通りだった。

狙いのチームは早々と負けてしまい
昼過ぎには帰ってきたので
昼食を食べ、少しゴロゴロ。

気を取り直して、"夕焼けでも"と思い

         考えた末・・・、こんな所へ
         2008-08-31-001.jpg

       予想は的中したのか?
            何とか絵になったのか?


2008年08月25日

ある風景

先頃、我が家の若い衆と話になった。

"別荘が持てたら、「山」「海」どっちがええ??"
"うーん、どっちもええなー"

私は、子供の頃から、飽きるほど海の経験は有るが
山は殆ど知らない。
今までに、2~3度キャンプをしたぐらいだから
馴染みが全くといって良いほど無いのである。

それだからこそ、山が良いかも知れないと思うし
山の経験もしてみたいと思う。

      先日、海で撮った風景
     08-08-17-sima-001.jpg
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       やはり、私には「海」が向いてるのかも??


2007年10月10日

太公望

尾道は海の町、何処でも誰でも釣りができる。

私が小さい頃(戦後間もなく)は、
今の様なナイロンの釣り糸など無かったので
母親に貰った木綿糸を、ごんぼ竿に結んで釣りをしたものだ。
釣り針も、今の様にメッキをしたものは無く
市内の釣り道具屋さん(本職が通う)で作ったものが売られていて
釣り好きの私の父親などは、目方で買っていた様だった。
その針はドロップの空き缶へ入れ
天花粉(ベビーパウダー)や歯磨き粉をまぶして持ち歩いた。
勿論、餌は干潮時に自分で掘るのであるが
それも無い時は、ご飯粒を付けて釣る。
それでも、子供の遊びとしては充分に楽しめ
専用釣り場の中央桟橋でギザミやコチ、ドンコ、カワハギなどがよく釣れた。

今では、年寄りの多い町となった尾道で
子供に代った太公望の姿をどこででも見かける。
    taikobo-001.jpg taikobo-002.jpg
           獲物はサヨリ、刺身?一夜干し?


2007年03月12日

DOCK

造船の町で有名だった尾道。
日立造船跡の船台を埋め立てていたが
どうやら終了したのかも知れない。
       dock-01.jpg
60年程も昔の話。
  ドンドン、ガンガン、ダダダダダァー。
  子供の目からすれば、
  とてつもなく大きな物体が
  毎日々、この音と共に出来上がってゆく。

  紅白の幕で飾られ、大音響で拡声器から流れる音楽
  割られた薬球から鳩が飛び出し
  ものすごい迫力で眼前に迫ってくる船体。
こんな光景が、目の前に浮かんだ。

      dock-02.jpg
もう、この光景が再現されることは無い。

                          古き好き時代の話。

今では、音も無く知らぬ間に巨大船が出来上がってしまう。


2006年06月29日

静かになってしまった尾道

       出船・入船の話が出たので
   むかし・・・(私が子供の頃)の尾道港の話をしてみる。
           chyuo-sanbasi-01.jpg
 現在は、ここ中央桟橋(昔の名前)からの船便は無い。

 この狭い尾道に同じくらい大きな桟橋がふたつもあった。
どちらの桟橋が先に出来たのかは知らないが
どちらも、大変な賑わいであった。
どうも、役割が分かれていたように思う。

駅前桟橋・・・(現在のものとは違う)は、汽車(国鉄)に乗る目的の人が
主に利用していたのだろうと思っている。
中央桟橋・・・(現在のもの)は、遠くは四国今治や島しょ部からの
買い物客で毎日ごった返していた。
 尾道港へ出入りする船便のほとんどは、眼と鼻の先のふたつの桟橋の
双方へ着いていたと思う。

 駅前桟橋は、真正面の尾道駅まで徒歩数分の便利さで
駅前近くには、洒落た食堂・みやげ屋・高級品を扱う商店・銀行・・・など
近郊の町の中では一番進んでいたように思う。
 その頃は尾道鉄道(私鉄)も山間部から沢山の人々を尾道へ運んだ。
  ※尾道鉄道は、検索エンジンにて尾道鉄道としてご参照ください。

 駅から桟橋、桟橋から駅へと人の波が絶えることはなく、
  人でむせ返っていた。
当時は福山や三原からも沢山の人々が尾道へ買い物に来たらしい。

 片や中央桟橋は、と言えば、こちらも全く負けていない。
桟橋を出ると真っ直ぐに荒神堂を上がれば本通である。
近くには、官公庁・銀行・郵便局・病院・商店街・色々な問屋・・・など
日頃の生活に欠かせないものが揃っている。
 殆どの日用品物資は、小さな「はしけ(名前が定かでない)」で
この桟橋の近くの雁木から荷揚げや船積みされていた。
 特筆は、桜の花見シーズンだ。
近くの島々や四国から、
巡航船の甲板を潮が洗うほどに乗り込んだ人々が
ここ中央桟橋で降りると、
一直線に荒神堂を通り抜けて千光寺道へ向かう。
皆、手に手に弁当・ござ・酒などを提げて、
われ先に千光寺山に登るのだ。
 こんな時期には、小学生の私も駆り出され、伯父が経営していた
桟橋の店で”一時預かり”をしている荷物の番をさせられたものだ。
帰りには、あんパンやラムネ、にっけ水を貰うのが楽しみだった記憶がある。

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  昔は、二重にも三重にも船を着けて
  船の中を行き来して乗り降りした。



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   この浮き桟橋が沈まんばかりの
   物資や人で溢れていた。
   が、現在は、こんな状態だ・・・。


 こんなにまで静かになったのは、新幹線の開通が大きく影響している。
新幹線の話が上がった折、
”尾道は難しい注文を出したため、国鉄さんの心証を悪くしたようだ”
と聞いているが、確証はない。
結局、尾道水道を埋め尽くすほどの出船、入船があった船便は
全部、三原へ変更されてしまったのである。

  が、しかし、
      尾道は、今の静寂が似合っているように思う。
        歳のせいかも・・・。


2006年06月25日

最初の始め

       尾道の、どこの何から始めようかと *えっと 考えたが
   やっぱし、ここから始めることにした。

suido-001.jpg 海が見えた。海が見える。
五年振りに見る尾道の海はなつかしい、
汽車が尾道の海へさしかかると、
煤けた小さい町の屋根が提灯のように、
拡がってくる。
赤い千光寺の塔が見える。
 昔は、笠岡で最後に見て、しばらく見えなかった海が、
突然に川のような姿で遇えるのが、尾道の東の端堂崎である。
   汽車の車窓、左側に展開される尾道の風景を楽しみに、
      年に一度か二度、帰郷したことが想いだされる。

  もう、「堂崎」の呼び名も殆ど忘れられてしまった今、
ここから尾道の懐かしい話をはじめよう。

 たいへん失礼な話になるが・・・
私が子供の頃は、この「堂崎」から向こう、東は田舎であった。
新国道ができるまでの国道は、尾崎の町中を通っていて、
浄土寺から東は”かまぼこ型”の砂利道であったように思う、
日頃の用事はここから西、旧市内ですべて事足りていた。
(現在は、全く逆の状態になってしまっているが・・・)

ただ、年に2~3度はバスに乗り、この堂崎を通って
尾道では珍しく広い干拓農地であった大田の汐回し
”鮒つり”に行った。
これがまた、よく釣れた。
(この話は後日、書いてみようと思っている)

 林 芙美子の放浪記・・・(文学のこみち)の大きな石に刻まれた
”煤けた屋根”や”ドックの赤い船”は旧市内でも殆ど見ることが
できなくなってしまった。
が、しかし、ここは尾道で一番眺めの良い場所には変わりがない。

   私は、この場所から眺める”夕焼け”は ☆日本一☆ だと思っている。